行ってみたところ 2

聖園農場の創始者であり、かつ聖園教会創立時の指導者であった武市安哉は、今の南国市の郷士(士族)の家に生まれました。


小学校の教師・区長・大区長・県会議員の要職を経験、1892(明治25)年には衆議院議員に当選していました。


しかし政界の汚さに失望し、政治や民権運動だけでは農民は救われないと考え、未開の北海道にキリスト教精神による理想の農村建設を決意しやってきました。


彼のよびかけに26人の青年が賛同し行動をともにしています。


国会議員の地位を捨てての渡道です。


土地は630haで、1次から3次までの入植戸数は200戸に及びました。


1898年、坂本竜馬の甥坂本直寛が北見から浦臼に移住、聖園は新しい指導者を迎えました。


当時の資料は、浦臼町郷土史料館に大切に保管され、展観に供されています。

行ってみたところ 1

札的駅で下車し学園都市線と並行して走る国道275号線を北に5分ほど行くと「札的母とFの家」があり、その北側の空地に聖園創始記念之地の石碑が立っています。


さらにここから1.7km国道を北行した市街地に聖園教会の教会堂があります。


明治の開拓時代、北海道の開拓は移住者の事情によっていろいろな形がありました。


1893(明治26)年、月形村サッテキナイ(現浦臼町札的)へ高知県から入植した青年グループは、キリスト教精神による理想の農村建設をめざし、聖園農場をつくり開拓を進めた。


リーダーの自由民権論者武市安哉の急死により農場は長く続かなかったが、進取の気風は今も残り、新たな形で聖園農場が再建され、入植者の子孫たちがキリスト教を心の支えとして教会で祈り、理想郷建設の伝統を受け継いで今日に至っています。

神秘の部分 その8

勘違いしている方もいらっしゃるかもしれませんが、霊性とはもっぱら、目覚めつつある個人の意識とむすびつくものであり、その経験がその人をより思慮深く、より親切に、より愛ある人にする動機にはなっても、宗教団体にはいる動機になるものではありません。

現代の科学が霊性という考えそのものを否定していることはあきらかです。

しかし、現代的であり、かつ霊的であることは両立が可能です。

事実、科学者が人間のエネルギー変換について実験し、立証しつつある現在、霊性はあきらかに復活しはじめています。

神秘の部分 その7

実は、実はですね。

多くの人は自分の行為によって、想念パターンのなかにこの霊性がはいりこもうとするのを邪魔していますが、じつはどんな人にも霊的なからだのこの部分にアクセスできる能力はそなわっています。

霊性とは本来われわれを、創造の背後にあるさまざまな力、すなわち愛のエネルギーや叡知のエネルギーとの統合へとみちびいてくれるものなのです。

不幸にしてわたしは、宗教団体に霊性があることが証明された例を知りません。

神秘の部分 その6

今回は直感について。

直観は想念の宝石のようなものであり、希少価値があります。

しかし、ちょっとした直観なら、たいがいの人がしょっちゅう経験しています。

たとえば、はじめて会った人と話をした帰りに、「あの人の声には誠実さがある」などと思ったことはないでしょうか?

声を構成する「音」は物質界の一部であり、五感で感知できますが、「誠実さ」は直観でしか知ることができない、見えない世界の一部です。

コミュニケーションは自分と自分のたましいとのあいだに起こるんだそうです。

神秘の部分 その5

(^o^)ノ < こんちわー

関心のあることを書き綴っております。

みなさんご存知でしょうぁ。

意識のおかげで、われわれはこの世に生存しつづけることができます。

生きる途上で、なにがよく、なにが悪いかを教えてくれるのも意識です。

たましいからこの意識エネルギーを受けとれなくなると、われわれは昏睡状態におちいる。

直観は霊的な側面に直接アクセスする、こころのサイキック(心霊的)な部分だ。

残念ながら、そこに直接アクセスできる人はきわめて少ない。

神秘の部分 その4

(^o^)ノ < こんちわー

スピ系には欠かせない霊性についてです。

霊性とは不完全な世界にあって平和と幸福を見いだす能力のことだといっていい。

それはまた、自己のパーソナリティの不完全さを理解し、それをそのまま受容することでもあります。

理解し、受容したときのこころのやすらぎから、創造性と利他的に生きる能力が生まれてくる。

からだのこの霊的な側面は見ることも聞くこともできないが、感得することはできる。

信仰・許し・やすらぎ・愛・美・幸福・喜び・悦惚などが見えなくても感得できるのと同じです。

霊的なからだは三つの部分からできています。

それはわれわれの意識・直観・コミュニケーションだそうです。

若侍のゆくえ

今日はちょっと面白い民話を(^o^)ノ

若侍のゆくえ夜明けを待ち兼ねた娘が、母とともにこの苧をたよりにたどってみますと、村はずれの洞穴のなかへ苧がはいっていました。


娘と母は耳を澄ませました。


その洞穴から低い話し声がきこえてきたからです。


「あの娘は、うまくわたしの子をみごもったよ。


人間に蛇の子を生ませるなんて、いい気持だ。


いったいどんな子が生まれてくるだろう・・・・・」話しているのは、若侍の声でした。


そっとのぞいてみると、どうでしょう。


二匹の大きな蛇がいて、そのうちの一匹の頭に苧をつけた針がささっているのです。


母と娘は、まっさおになってしまいました。


あの美しい若侍は、この大蛇の化身だったのです。


両親が大切に育てた美しい娘、兄弟の誇り、世の賞め者である清らかな娘が、こともあろうに蛇に思いつかれ、蛇とも知らずに契った結果、蛇の子を受胎したとは・・・・・。


なんというまがまがしいことでしょう。


目の前がまっくらになった母娘の耳に、こんどは別の大蛇の声がきこえてきました。


「そうか。しかしそううまくゆくかな。


人間という者は賢いから、女が三月三日に蓬の葉で作った餅を食べて、海辺の岩を飛んで潮をあびたら、その子が流れるくらいなことは知っているだろう」


それを聞いた時、母娘はぱっと光にあたったような気がしました。


若侍の大蛇と、その友の大蛇とが、なおも話しこんでいるのをよいことに、息をころしてそおっとその場を立ち去りました。

以上、沖縄旅行で聞いた民話でした・・・。

神秘の部分 その3

とっても興味深いのですが、

オステオパシーの思想は、スティル博士がいっているように、

人間のなかに三つのからだを認めています。

ひとつは霊的なからだ、もうひとつは精神的なからだ、三番目は肉体です。

スティル博士はそのことにかんしてじゅうぶん納得できるほどのことばを残していないので、わたしは人生の多くをその探究に費やすことになりました。

いまのところ(こうした探究は果てしがないので)、オステオパシーの思想と東洋思想、とくにタオイズム(道家思想)との結合がわたしの思想の基礎になっています。

神秘の部分 その2

こんにちは。

今回は、非常に興味深い言葉を紹介します。

アンドルー・テイラー・スティルのことば

★人間の三つのからだ
「人間は三つの存在が一体となってはじめて完成します。

第一は肉体、つまり物質的な身体です。

第二は霊的な存在、第三は精神的な存在で、これがすべての生物的な運動や物質的な形態をはるかにしのいでいます。

・・・このように、われわれが望ましい結果を得るには、その三つをほどよく兼ねそなえ、自然の真理と調和して生きなければならない」

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